大判例

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大分地方裁判所 昭和44年(わ)281号 判決 1969年10月24日

主文

被告人を懲役四月に処する。

未決勾留日数中五〇日を右の刑に算入する。

本裁判確定の日から二年間、右の刑の執行を猶予する。本件公訴事実中第二の公務執行妨害傷害の点について被告人は無罪。

訴訟費用中国選弁護人に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四四年七月二〇日午前一時三〇分ごろ、別府市上野口三番四号山口功方前附近の道路上において、同所に駐車中の同人所有の軽四輪貨物自動車一台(時価三一万四、〇〇〇円相当)を窃取したものである。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

法律にてらすと、判示窃盗の行為は、刑法二三五条に該当するので、その刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中五〇日を右の刑に算入することとし、情状により同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から二年間、右の刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、国選弁護人に支給した分については被告人の負担とする。

(無罪部分)

昭和四四年七月二五日附起訴状の公訴事実第二は「被告人は昭和四四年七月二〇日午前二時三〇分ごろ、別府市駅前町所在の別府警察署別府駅警察官派出所において、同所勤務の大分県巡査羽田野俊二により窃盗容疑に基いて緊急逮捕された際、水を飲もうと立ち上つたので、同巡査が逃走危険防止のためこれを制止したところ、その態度が気に入らないと憤激し、やにわに同巡査の右顔面を右手拳で二回殴打し、さらに同巡査の右手首を一回足蹴りにするなどの暴行を加え、もつて右巡査の職務の執行を妨害し、その際同巡査に対し加療約一〇日間を要する顔面打撲、右前膊部捻挫の傷害を負わせたものである」というにある。

そこで右の各事実について案ずるに、<証拠>を総合すると、被告人が前記日時、場所において、羽田野俊二に対し暴行を加えたこと、その結果同人が前記のような傷害を負つたこと、羽田野巡査の職務の執行中に、被告人が右のような暴行を加え傷害を負わせるに至つたものとして公訴事実記載のような公務執行妨害、傷害の各罪を構成すると認め得られないこともない。

ところで、前記の各証拠に司法巡査の作成の酒酔い酒気帯ど鑑識カードを加え検討すると、被告人は昭和四年七月二〇日午前一時二〇分ごろ、些か飲酒酩酊して別府市上野口三番四号所在の山口功方前路上附近に駐車してあつた同人所有の軽四輪貨物自動車に無断乗り入れ無灯火、かつエンヂンを始動することなく同所から下り坂となつている同市富士見通り日豊線ガード方面に向け走行し、日豊線ガード下で停車したうえ降車して境川方面に歩きかけたところを警ら中の別府警察署別府駅警察官派出所勤務の羽田野俊二、阿南賢樹の両巡査に現認せられ、両巡査は被告人に対し「何処まで行くのか。」「免許証は。」等と職務質問したところ、被告人が浜脇方面を指し「ちよつと向うまで。」「免許証は車のところにある」等と答えたうえ、免許証を車中から持参するかのような態度を示して停車中の軽四輪貨物自動車の方向へ歩きながら、右軽四貨物自動車前を通り過ぎ突然に走り出してその場を逃げ出したので、両巡査は真疑を確め、かつ逃げる理由を問い質す意思のもとに逃げ足の早い被告人の跡を約八〇メートル追いかけ同市野口元町一一番三四号の富士見荘アパートの路地に至つてやつと両巡査とも相前後して被告人に追付き、羽田野巡査が「何故逃げるか。」と発問すると、被告人は「酒を飲んで運転していたから逃げた。」と答えたが両巡査は被告人を別府駅警察官派出所まで連行することを考え、羽田野巡査が右、阿南巡査が左にまわつて被告人のそれぞれ手首等を握つたうえ同所から約一〇〇メートル離れている別府駅警察官派出所まで被告人を同行することを告げたところ、被告人は両巡査に対し「別に悪いことをしたわけではないから放せ。」と言つて、両巡査の握つている両手を左右に振る等し、拒否の態度を示したが、兎も角、両巡査は調査のためと称して、一時四〇分ごろ、被告人を別府駅警察官派出所へ同行したうえ、木付巡査長に事情を報告し、羽田野巡査は以後同所で被告人に対し質問、さらには所持品の提示を求める等の取調べをおこなつたところ、被告人から別府市野口中町羽田野医院、野村武士なる自動車免許証が提示された。その間、阿南巡査は木付巡査長の命令により前記軽四貨物自動車のナンバー等の調査に出向き、同車内から自動車届出済証を取り出し別府駅警察官派出所に帰り、羽田野巡査の取調べに際し被告人の側に居て事情を聞いていた西川巡査に右自動車届出済証を手渡し、同巡査はそれに基き山口功方に調査に赴いたところが、該車は二〇分位前に何者かに盗まれているということが判明したので、同派出所に帰り被告人の乗車していた軽四貨物自動車が盗難車であることを告げた。被告人は羽田野巡査の取調べに対して被告人の本籍、家族についての質問に答えず、重なる問答と飲酒による渇きから羽田野巡査に水を飲ませるよう求めたが、同巡査はその要求を峻拒し続けてきた。ところが突然に被告人が立ち上り同警察官派出所入口附近の水道蛇口に向つたので同巡査もその瞬間に立ち上り被告人の水飲みを制止する等の行為に出たが、その際被告人の顔面を殴打する暴行を加えたため、これに激昂した被告人が同巡査の顔面を手拳で殴打して仕返えす等の反撃行為に出る等したため同警察官派出所入口の水道蛇口附近の机に坐っていた木付巡査長が西川巡査に対し直ちに被告人に手錠をかけるよう命じ、同巡査は直ちに被告人に施錠した。この時刻が緊急逮捕の時刻である午前二時三〇分ごろであつたことが認められる。

(弁護人、被告人は富士見荘アパート路地に被告人が追いつめられた際、羽田野巡査から暴行を受け受傷した旨主張し、<証拠>を総合すると、被告人が本件当夜右手前膊尺骨側、右中指爪下皮下にそれぞれ受傷しており、右中指については同警察官派出所から別府警察署に身柄を送られるとき羽田野巡査から右手中指爪下皮下の傷の手当を受けていることが認められるが、右受傷が富士見荘アパート路地に追いつめられた際、被告人が両巡査に抵抗したことは後記認定の任意同行の態様から推認できる。しかし、さらに後記認定の如く羽田野巡査と被告人間の抗争に際し受傷したということも推認でき、その受傷場所は全証拠によるも確定的に認定できない。)

公訴事実中「派出所勤務の大分県巡査羽田野俊二により窃盗容疑に基いて緊急逮捕された際水を飲もうと立ち上つた。」との記載は、当時同警察官派出所に木付巡査長、羽田野、西川両巡査が在室し、被告人は羽田野巡査から約五〇分間も取調べを受けており、その間に住所・氏名年令・が所持品から明かになつておる状況等に鑑みるとき、被告人が緊急逮捕を要する犯人と認めるべき理由もなく、同巡査等もそのように認めて取調べをしていたところを被告人が同巡査の制止を聞かず水飲みのため入口附近の蛇口に向い同巡査との間に抗争を生じたこと等から緊急逮捕的所為に出たものと認めるのが相当であると解する。

およそ、警察の使命は、警察法一条に明記するように国民の生命身体、および財産の保護に任じ、犯罪の捜査、被疑者の逮捕、および公安の維持を図るのをその責務とし、その責務を全うするため警察官および警察吏員(警察官と総称する)の行為規範として警察官が警察法に規定する職権職務を忠実に遂行するため必要な手段を定めることを目的とする警察官職務執行法が制定されている。したがつて、その解釈運用にあたつては、その法意に鑑み合目的であり、かつ社会通念に照し、もつとも合理的におこなわれなければならず、その法意を逸脱して濫用にわたるようなことがあつてはならないと同時に、徒らに個人の基本的人権と公共の福祉に対する理解と確信のとぼしさ等から法律の意図する職務の忠実なる執行を忽せにするようなことがあつてはならない。

固より憲法の保障する個人の基本的人権はあくまでこれを尊重すべきであるから、警察官といえども職務執行に名を藉り、個人の人権を侵すがようなことがあつてはならないので、その職務執行に当つては、刑事訴訟に関する規定によらない限り身体の拘束、同行、または答弁の強要をなすことが出来ないことは警察官職務執行法二条三項の規定によつて極めて明白である。したがつて警察官が同執行法二条により所謂、職務質問をなす場合には叙上の観点から公共の福祉と個人の人権保障との調和を図り、警察法に規定された職責を忠実に遂行するために必要な限度においては強制にわたらない程度において相手方を停止、同行して質問することが出来るものと解する。若し相手方が警察官の右行為を峻拒し応じなかつたとしても、具体的場合に即応し、警察官としての良識と叡智を傾け臨機適宜の方法により、或は注意を与え、或は翻意せしめて本来の職責を忠実に遂行するための努力を払うのが寧ろ警察官の職務であると謂わなければならない。

そこでこれを前記認定のような本件の場合について勘案するとき、羽田野、阿南両巡査が警察官としての職務を帯びて警ら中に、前記認定のような日時場所において、被告人の行動を現認した以上、警察官として当然に何等かの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしているものではないか、との推定の下に職務上必要と認めて疑いの有無を明確にするため職務質問をなしうるということ、その場を逃走した被告人を追跡し、被告人に派出所等までの任意同行を求めうるということは勿論である。かかる場合警察官としては故なく逃走した被告人を強制にわたらないようにして派出所等まで同行するよう警察官としての叡智を傾け、臨機適切なる方法によるべく必要な努力を払いその職責を忠実に遂行する責務があると解すべきなのに、両巡査は前叙のような努力を尽すことなく、安易で強制力のある方法をもつて、同巡査等が逃走した被告人に追付いた富士見荘アパートから約一〇〇メートル離れた別府駅警察官派出所までの距離を羽田野、阿南巡査が前記認定のように被告人の手首(あるいは両腕)を握つて同人に対し強制、または強制的と認められる実力行使に出ている以上、両巡査の右の行為は両巡査から同行を求められる被告人の意思如何にかからず別府駅警察官派出所まで連行せられたものであつて、そのため被告人は両巡査の右行為により身体の自由が束縛せられた状態に陥入つており、右状態はまさに逮捕行為に該当するものである。

したがつて、刑訴法の規定にかない右逮捕に引続く前記認定のような取調は適法な職務行為の範囲を逸脱し違法であるから違法な職務行為を公務の執行と解することはできない(仮りに同巡査が適法な職務行為と理解しても刑訴法の規定から明白にして一般の見解上公務の執行と認められないときは職務の執行と信じてなしたとしても適法な職務行為とは認められない。)。

仮りに公訴事実の記載のように、その後約五〇分を経過した後に至つて羽田野巡査等により被告人が窃盗容疑に基いて緊急逮捕されたとしても、その緊急逮捕行為により被告人に対する前記違法な逮捕行為が適法となるものでないばかりか、その後におこなわれたところの緊急逮捕行為も、これまた違法なものであつて、右行為を適法な緊急逮捕に基く職務行為と解することもできない。前記認定のような違法な職務行為に対しては、その相手方が正当防衛行為をなしうることは当然であつて、右の場合被告人の身体自由に対する急迫不正な侵害があつたのであるから、違法な職務行為者に対し前記認定のような状況下において被告人が暴行を加えてもこれを正当防衛と解することができ公務執行妨害罪が成立するいわれはなく、被告人と格斗中の羽田野巡査が負傷したと認められる被告人の暴行にも前記認定の程度の傷害である以上前叙と同じ理由により正当防衛行為と解することができる。

したがつて、公務執行妨害、傷害の各罪は成立しないので刑事訴訟法三三六条により本件公訴事実第二については、被告人は無罪の言渡をする。

(なお、国民においても法治国家の一員として法の尊厳を認識し、その命ずるところに適従するという自発的自律的な態度が望まれ、国民の自発性、自律性こそ個人の自由と責任を強調できる民主主義の重要な基礎をなすものであることを十分に自覚、理解し、そこに始めて警察官の任務と職責に対する理解に協力の態度が生れるものであり、かくあつてこそ、警察官の任務、職責の円滑な遂行を期待し得られると共に、国家と言えども侵すことの出来ない国民の自由と権利の擁護伸張に欠くることのない平和的、文化的な民主主義国家としての日本国の発展が約されるものである。かくの如く思いをいたすとき公訴事実第二の各事実は遺憾なものと言わざるを得ない。

よつて主文のとおり判決する。

(重村和男)

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